活動報告2008年07月

2008.07.12
遠軽北海道家庭学校を訪ねて
(学習会)

 3月以来の第9回学習会は、内から外に出ての遠軽北海道家庭学校(以下家庭学校と略)訪問を企画しました。当日は(7/12)会員向けの研修等もあって参加者は津別から支部長の山田さんと佐藤(育)さん、佐呂間から尾崎さん、地元遠軽から張江さんと古賀さんそれに北見から私(武信)の6人でした.遠軽の張江さんのところで落ち合って家庭学校へ向かう。尾崎さんは家庭学校の校門口で待っていました。午後2時を過ぎていました。校門口から車で数分にて本館に着く。この本館は午前中生徒たちが学習する場でもあります。ここで校長の小田島好信先生に迎えられました。校長先生は28年間校長を務めた谷昌恒さんに代わって平成9年(97)4月から第6代目です。理事長も兼ねています。白髪でがっしりした体躯の校長先生でした。本館玄関口正面には家庭学校の鳥瞰図が描かれた絵がありました。この絵をある生徒が足蹴にしてへこんだ跡が残っている話をされ、絵の痛みを感じて欲しいとその生徒に説いたと、校長先生。

080712_155726.jpg訪問者が少人数ということもあってか校長先生が自ら案内して下さる。敷地内を歩いて廻ることになり、外に出ると雨がぱらつきだしてきた。校長先生は空をあおいで雲行きを見て、本降りになりそうですと言われる。傘を用意して出かけるとほどなくして本当に本降りになってきました。
 最初に向かった先は、望の岡にある礼拝堂でした。森の中にある教会といえます。冬場を除いては毎週日曜日礼拝を行っている所です。ここで校長先生が目を細めて私たちに見せてくれたのがピアノ(オルガンの形)でした。このピアノが数奇な運命を経てこの礼拝堂にあるいわれを語ってくれました。

私はこのピアノのことを10数年前に読んだ作家五木寛之の『ステッセルのピアノ』(平成5年文芸春秋刊)のことを思い出していました。いま、その本をひもとくと五木は平成5年の3月にこの地を訪ねています。「遠軽の雪の学校にて」と一章を設けています。半日ほどいて、生徒や家庭学校の印象を記しています。生徒の挨拶が規則的でなく、自然なものとして交わしてくれる。私も感じた。ピアノについては「ハイモヴッチというロシア人が注文して作らせたドイツ製のピアノであること、ステッセル将軍のピアノとかクロパトキン夫人のピアノとかいわれるがはっきりとは分からないこと、ただ、日露戦争のときの戦利品だということは確かですね」と書いている。

さて、そのピアノを校長先生は500万円出して音が出るように修繕し調律しました、と。五木が訪問した時は、ほこりをかぶって博物館に収まっていた。その鍵盤をたたかれ、皆さんもたたいてみてくださいといわれるが、ちょつとたじろぐ。尾崎さんがピアノに心得があって弾かれる。後で訊くと荘厳な響きがありました、礼拝堂の造りもあってでしょうと言われる。その礼拝堂の正面の壁の高いところに<難有>という額が架かっている。校長先生は、有り難うという意を語られていた。五木は先の本の中でこの家庭学校の創設者留岡幸助の生涯と学校運営が試練にみちたものから<難有>という文字どおりの歩みにだったに違いないと書く。この後、この礼拝堂をバックに記念写真を撮る。(撮ってくれたのは校長先生)

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礼拝堂から小径を下っていくとカラ松でおおわれた林が広がる。中には樹齢200年という大木が聳え立つ。鳥瞰図をみると寄贈した人の名がつけられたのか四つの林でおおわれた森を形成していました。次に向かったのが校門口にある夜間定時制高校に通っている学生さんたちが暮らす向陽寮でした。最近建ったということで、中もこざっぱりしていました。従前の寮は4人部屋ですがここは2人部屋でした。やはり他の7寮と同じく少年たちと起居寝食を共にする寮長夫婦によって運営されています。次の寮に向かうがてら校長先生は、この学校を卒えてからが大変で、そのフォローが大事ですと語られる。確かに児童自立支援施設とはなっているがいただいた資料の家庭学校の現況を見ると小中学生は53人中23人である。定時制高校生が12人あとは中卒生18人とある。義務教育を終えた少年たちが多いことが分かる。五木は先の本で「社会福祉法人北海道家庭学校は、いわゆる問題児童を再起させるための教育施設であるらしい」と記す。(傍点五木)その問題児童を現況資料では、窃盗万引き、家出放浪、家庭内暴力といった順に多い。校長先生は、いまは発達障害の児童が多くなりましたと語られる。張江さんは仕事ということでここで帰られる。最後に向かった平和寮にうかがう頃には雨は小止みになってきた。この寮には小学生から中卒生まで暮らす。ここで気になったのが、寮生の溜まり場である所に本にも増して多くあったのが漫画本でした。棚数段にびっしりと詰まって並んでいました。寮の先生は、古本屋さんで買ってくるといわれる。この寮の後方には牛舎があって、その上手の放牧場ではのんびりと乳牛が牧草を食むでいた。

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439㌶の広大な森の敷地のほんの一部をゆったりとした散策での見学ではありましたが、2時間が過ぎていました。この後、本館にもどって校長先生より資料をいただく。もう少し資料をもとにしたお話を伺いたい気もしました。でも、時間が予定を過ぎており、心残りではありましたが、お邪魔することにしました。
 私にとっては28年前に岩波新書で読んだ『一路白頭ニ到ル−留岡幸助の生涯−』でおぼろげながらにも知る家庭学校を足で、目で実感した訪問でもありました。
 尚、この家庭学校の子供たちに視点をあてて昨冬取材した島津あき著『親なき子−北海道家庭学校ルポ』(株式会社金曜日、定価1260円)が出版されています。興味のある方読んでみてください。現況資料には、実父のみ、実母のみといった片親だけの子どもさんが8割近くいることが記されていました。      

事務局長 武信隆司

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